「共感」と共にある「しあわせ」

生き物の根底に息づいてるよろこびは
「共感」なのだと、最近気がつきました
 
共に過ごしていても
どれだけ会話を重ねても
気持ちが寄り添えなければ
空虚な時間でしかなく…
 
それは”同じ考えを持っている”
という意味ではなく
“相手に気持ちを寄り添わせることができる”
というような意味です
 
 
 
例えば出かけた先で
お天気に恵まれなかったり
目的の場所にたどり着けなかったとしても
 
共に出かけた仲間や
そこで出会った自然界の友だちと
気持ちを通わせることができたり
同じものを見て一緒に大笑いしたら
 
その日の思い出は
何かとても温かいものとして
心の中に、残ります
 
それが「共感」と共にある「しあわせ」
なのではないかと
思うのです
 
 
 

 
近ごろ
「自然を守る」とか
「環境にやさしい」
という言葉が、なんだかしっくりとこなくて
 
「人」と「自然」が別のところにあって
「人」が「自然」を守って「あげる」ような感覚に 
違和感を覚えます
 
人も自然も
言語の種類は異なっても
まるで友だちのように、家族のように
共感し合って
生きることができて
 
そうすると 
自ずから
人の振る舞いも、生活で意識するポイントも
変わってくるのではないかなぁ…
と、思うのです
 
それが、持続可能で 
身の丈に合っていて
自然体で
人にも自然にもやさしい生き方に
繋がってゆくような気がします
 
 
 
「共感」
最近私の中で
気になっている響きです